今回は『Bladed Fury』の第2ステージで登場する夏徴舒とその母である夏姫について書きたいと思います。ちなみにゲーム内での夏徴舒は、このステージのボスである文姜よりもかなり手ごわい相手で、難易度困難ではかなり死んだ記憶があります。
夏徴舒
ゲーム内では登場するやいなや主人公の話を無視して「我可不是逆贼! 我也不是野种!(私は逆賊ではないし、私生子でもない!)」「他们都欺负母亲,他们还嬉笑,说我长得像他(彼らは皆母上をいじめ、私が彼らに似ていると言って笑った)」「你是不是笑我出生不明?(私の生まれが不明であると笑っているのか?)」などと自分の生まれについてかなり気にしている描写がありました。
夏徴舒に関する史実にその理由がありますのでウィキペディアから引用いたします。
陳の大夫の夏御叔と夏姫のあいだの子として生まれた。父方の祖父は陳の宣公の子の公子少西(字は子夏)であり、母方の祖父は鄭の穆公である。
陳の霊公十四年(紀元前600年)、霊公と陳の大夫の孔寧と儀行父は夏姫と姦通し、夏姫の下着を着こんで朝堂でふざけあった。大夫の洩冶がその淫奔を諫めたため孔寧らに殺害された。十五年(紀元前599年)、霊公は孔寧や儀行父とともに夏氏の邸で酒宴を開き、「夏徴舒はおまえに似ているぞ」と儀行父に言った。儀行父は「君にも似ております」と答えた。徴舒は激怒して、陳の霊公が邸から出るときに厩の陰から矢を放って、そのまま弑した。孔寧と儀行父は楚に逃亡し、太子の媯午は晋に亡命した。徴舒は自ら立って陳侯となった。
陳の成公元年(紀元前598年)冬、楚の荘王が陳を討った。捕らえられた徴舒は栗門で車裂きにされて処刑された。晋に亡命した太子の媯午が帰還して陳侯として立てられた。
少しわかりにくいので解説します。なお宮城谷昌光の『夏姫春秋』を参考にしておりますので、若干の創作が含まれるかと思いますが、史実の理解に支障はないです。
御叔と夏姫との間に生まれた子が夏徴舒であり、母の夏姫は絶世の美女といわれています。夏姫は衰退した夏氏の一族を復興させるため、陳の霊公やその家臣である孔寧・儀行父らと体を交えました。
ある日朝廷の場で、霊公と孔寧・儀行父の3人は夏姫の下着を着てそれを見せ合ってふざけ合いますが、洩冶にいさめられます。皆の前で恥をさらされた孔寧と儀行父は洩冶を殺してしまいます。
また別の日に、閲兵のため夏姫たちの住む夏氏の台へ赴くと霊公が夏徴舒に告げます。しかし実際は閲兵とは名ばかりで、本当の目的はこの地で遊ぶことでした。霊公が宴会をする中、夏徴舒は兵を見てほしいと頼みますが、霊公は取り合ってくれません。夏徴舒は怒りをこらえつつもその場を去ろうとしますが、その時、「夏徴舒はおまえに似ているぞ」と霊公は儀行父に言います。それを聞いた儀行父は「君にも似ております」と答えました。それに激怒した夏徴舒は霊公を殺し、孔寧と儀行父は楚に逃亡しました。そしてそのまま夏徴舒は自ら立って陳侯となりました。
こうした史実があることから、ゲーム内における夏徴舒は自分の生まれについてかなり神経質であったと思われます。
夏姫
夏姫と検索してみると、美女・妖女・悪女などといわれているのがわかります。ウィキペディアにも「夏姫(夏姬、かき、生没年不詳)は、中国の春秋時代の女性。彼女と関わった男性たちに次々と不運が訪れたことで知られ、物語の題材ともなっている」と記載されており、実際彼女の夫となった御叔や襄老は死に、そのほかにも陳の霊公は彼女の息子である夏徴舒に殺され、そしてその夏徴舒も悲惨な死を遂げています。こうしたことから妖女や悪女と呼ばれているようです。
ゲーム内でも夏徴舒が「都是他们不好,都是母亲不对(すべて彼らが悪く、すべて母上の過ちだ)」と言っているように、数々の男たちと肉体関係を持った母親を夏徴舒はあまりよく思っていなかったようです。
そんな夏姫ですが、最後には楚の荘王の寵臣であった巫臣の妻となり、娘も産んで平穏に暮らしたようです(というよりそう信じたいです)。
まとめ
今回は『Bladed Fury』に登場した強敵夏徴舒とその母夏姫について書きました。恐らくプレイヤーは夏徴舒の登場時、彼はなぜこんなに怒っているのだろうと疑問に思ったかと思いますが、史実を見れば納得できるキャラ設定となっています。
おまけ『夏姫春秋』
上記で少し触れた『夏姫春秋』は非常に面白い本でして、史実を基に非常にうまい具合に小説として肉付けされています。その中でも私が舌を巻いたのが「食指が動く」の故事に関してです。
食指が動くとは「食欲が起こる。興味・関心をもつ。してみたい気持ちが起こる。また、手に入れたくなる。食指を動かす。」という意味であり、夏姫の兄・鄭の霊公にまつわる故事がもとになっているといわれています。その内容はウィキペディアを見ると、
楚の荘王が鼈(スッポン)を送ってきたとき、霊公はそれを料理して家臣たちに振る舞おうとした。子家と子公も宴に招かれ、その道中に子公が「この指が動いたときは珍味にありつける」と言っており、鼈を見て両者は顔を見合わせて笑った(食指の故事)。霊公がそれを見咎めて訊ね、子公が委細を答えると、霊公は機嫌をそこね、宴の席で子公にのみ鼈料理を出さなかった。子公はこれを屈辱に思い、鼈の鍋に指を突っ込んで舐めると退室した。子公の無礼に怒った霊公はこれを討とうとするも子家に諌められたが、のちにこのことで恨み骨髄に徹した子公は子家を誘って挙兵し、霊公を討った。
と記載されています。以前この言葉を調べた時「なんで霊公は機嫌をそこねたんだろう?」と疑問に思って色々ネットで調べましたが、結局わからずじまいでした。これに関してはしょうがないと割り切っていたのですが、『夏姫春秋』にその時の霊公の感情が細かく描かれ、創作だとわかっていながらも「なるほど」と思わずうなってしまいました。
簡単に書くと、まずこの小説の前提として、霊公と夏姫とは兄妹ながらにして肉体関係があり、夏姫は自分だけのものだと霊公は思っていたというのがあります※。そんな中、子公が人差し指を動かして夏姫を「珍味」だと言い、彼も夏姫と肉体関係と持ちます。そういったことがあった上で、子公がスッポンという「珍味」に対して食指を動かし、そして霊公はその指こそが夏姫を汚した指だと知っていたので、ふつふつと怒りが込み上げたというのが作中で描かれていた内容でした。
※実際の史実では、肉体関係があったのは霊公・子夷ではなく子蛮であったといわれています(子蛮は夫であったとも)。この小説では子蛮は登場せず、子夷がその役割を取って代わっています。
霊公と夏姫が肉体関係を持つという設定にしたのは「食指が動く」の故事に導くためなのではないかと思えるほど鮮やかな展開です。
これ以外にも、史実からでは想像することのできない夏姫を中心としたさまざまな物語が描かれていて非常に面白い作品となっています。
参考URL
・ ”夏徴舒”, ウィキペディア, 2019年3月11日更新<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E5%BE%B4%E8%88%92>, 2020年5月5日アクセス.
・”夏姫”, ウィキペディア, 2020年3月29日更新<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E5%A7%AB>, 2020年5月6日アクセス.
・”食指が動く”, Weblio辞書, <https://www.weblio.jp/content/%E9%A3%9F%E6%8C%87%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%8F>, 2020年5月6日アクセス.
・”霊公 (鄭)”, Weblio辞書, 2019年11月30日更新<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E5%85%AC_(%E9%84%AD)>, 2020年5月6日アクセス.
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