『Bladed Fury』文姜(ぶんきょう)と襄公(じょうこう)

Bladed Fury
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今回は『Bladed Fury』に登場する文姜と襄公について書きたいと思います。

襄公については以前の記事「巫児(みこ)について」で軽く触れましたが、今回はもう少し詳しく書きたいと思います。

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文姜について

文姜は息嬀そくぎ夏姫かき西施せいしと共に春秋四大美女の一人とされています。襄公の異母妹である彼女は襄公と近親相姦を繰り返したことから、検索すると「淫乱」や「悪女」などの言葉が散見されます。ゲーム内でもそのようなキャラ設定になっています。

彼女は魯の桓公かんこうの夫人となりますが、兄の襄公は彼女を愛するあまり公子彭生ほうせいに桓公を殺させます。そういった意味では魯に不運をもたらした悪女といっても過言ではないかもしれません。ゲーム内ではその史実にも触れられています。

その後、文姜と桓公との間に生まれた荘公が魯の君主となりました。襄公と私通を繰り返す中で魯の意向を直接襄公に伝えることもあったはずです。悪女とされていますが、ある程度の利は魯にもたらしていたと思われます。

襄公

襄公は斉の第14代君主です。在位期間は前697年-前686年とされ、このゲームでは康公が崩御した前379年が舞台となっているので300年以上前の人になります。

とにかく彼で一番有名なのは妹と私通していたことでしょう。それにより文姜とセットで「淫乱」のレッテルを貼られています。もちろんそれは事実であり、君主としての器量もなかったため、公孫無知に殺されることになったのでしょう。

しかし私が面白いと感じたのは文姜と私通するに至るまでの彼の感情の機微です。宮城谷昌光の『管仲』にその辺のことが詳しく書かれているので簡単にご紹介します。

諸児しょげい(襄公)の父・僖公きこうは元々太子ではなく、得臣とくしんが太子だった。太子ではない僖公は家格のさほど高くない女性を娶り、その女性との間に生まれたのが諸児だった。しかし、僖公の父(荘公)の在位中に得臣が亡くなったため、僖公が君主となった。君主となった僖公はその後家格の高い女性を娶ることになり、家格で劣る諸児の母は虐げられ、それに伴って長子である諸児の地位も揺らいだ。その後僖公は諸児を人質として鄭へ送り、僖公は自分の弟の息子である無知を寵愛した。

諸児の鄭での暮らしは辛いものだった。やっとのことで帰国してみると、諸児の母は降格され、正夫人の地位にいたのは新しく迎えた家格の高い夫人だった。諸児は長兄であるにもかかわらず、新しく迎えられた夫人たちの息子が太子になるのではないかと噂され、彼の気持ちはすさんでいく。そんな暮らしの中で諸児の生活は乱れ、淫靡いんびを帯びていく。違う母から生まれた妹の文姜を淫欲の対象にしたのも、彼の寂寥の心象が強い慰めを渇望したからだろう。

数ページにわたって書かれているので私なりにまとめました。これを読むと寂しさを埋めてくれたのが文姜だったとわかります。もちろん小説なのでフィクションも含まれているかと思います。しかしこれを読んで、一辺倒に「淫乱な君主」と決めつけるのはいかがなものかなとも感じました。

君主になってから正妻を迎えても文姜を想い続け、子孫を残さなかった襄公の想いはきっと本物だったのでしょう。

まとめ

今回は文姜と襄公について書きました。

史実だけを見ると、「へ~。こんな淫乱な君主がいたんだなあ」と思うだけですが、そこに至るまでの経緯を想像すると以外に納得できたりするものです。

寂しさを恋で埋めるのはいつの時代も変わらないのですね。

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